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Thu 2009-03-19

3rdアルバム「クイーン・イズ・デッド

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1985年はザ・スミスにとって、スタジオでサードアルバムの収録をしながら、
イギリスとアメリカでツアーを続ける苛酷な一年でした。

翌1986年、まずシングル『ビッグマウス・ストライクス・アゲイン』がリリースされ、
間をおかずに1986年6月、アルバム『クイーン・イズ・デッド』が発売されました。

アルバムは、辛辣で物寂しい、彼らにとって典型的な曲とも言える『ネヴァー・ハッド・ノー・ワン・エヴァー』などや、乾いたユーモアの効いた、従業員が上司に書いた辞職願の形式の『フランクリー、ミスター・シャンクリー』、この曲はラフ・トレードの社長ジョフ・トラヴィスに宛てたメッセージでもあるという見方もあります。

ラフ・トレードとの契約をめぐる紛争でこのアルバムは発売が大幅に遅れ、(『クイーン・イズ・デッド』各曲の収録は1985年11月には終わっていた)また、メンバーはバンドの多忙なスケジュール、イギリスのメディアの口さがないゴシップ記事、アメリカでのレコード各社による契約争奪戦、その一方でのアメリカのセールスの不調などで、かなりのストレスを抱えていたようです。

後に、ジョニー・マーはNMEとのインタビューで、「当時のことは『不調』という言葉では半分も言い表せない。僕はものすごく病気だった。ツアーが完全に終わるまでにはちょっと…危険な状態だった。僕は自分を抑えられる以上の量の酒を飲んでいた」と語っています。

同じ頃、1986年初頭にはルークもヘロインによる問題でバンドを首になり、彼は車のフロントガラスに張られたポスト・イットで解雇通知を受け取りました。文面は「アンディ ― 君はザ・スミスを去った。さようなら幸運を祈る。モリッシー」と。

ルークの代役として、ベースに短期間クレイグ・ギャノン(Craig Gannon)が加入したのですが、ルークはわずか2週間で復帰をし、ギャノンはザ・スミスにとどまり、リズム・ギターに転向しました。ギャノンを加え5人で収録したシングル『パニック』と、さらにカースティー・マッコールがバッキングボーカルに入った『アスク』は1986年夏から秋にかけてリリースされ成功を収め、5人体制になったバンドはイギリスツアーも行いました。ギャノンはツアー終了後の1986年10月にバンドを辞めています。

このアルバムはUKチャートでは最高2位となり、
解散後ではこのアルバムをバンドの最高傑作に推す声が多数です。

音楽誌「SPIN」の1989年の特集「これまで制作された最高のアルバム」では第一位に輝いたほどで、その他NME紙やメロディ・メイカー紙など、数多くのロック誌や音楽出版物の行う「グレイテスト・アルバム」企画では、『クイーン・イズ・デッド』はしばしば10位以内にランクインしています。

2006年6月に、
NMEは全紙面を使って『クイーン・イズ・デッド』発売20周年特集を組みました。

是非、聞いてみてください。

イギリスのユースカルチャームーブメントをご紹介する上で、外せません。英国車を取り扱いする当店としては、皆さまにチョッと掘り下げて、私がリアルタイムで感じた、当時の英国の空気を感じて頂ければと思います。
http://www.rising-mini.jp/
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