Tue 2008-12-30

MUTE BEAT
私のマイフェイバリットアーティストです。

MUTE BEATは1982年に東京で生まれ80年代を駆け抜けて、90年にひっそりと消えていきました。MUTE BEATは、ONE&ONLYのオリジナルなバンドでした。MUTE BEAT以前に日本にレゲエ・バンドがいなかったわけではありませんが、ほとんどはウェイラーズ指向の強いヒッピーの匂いのするバンドだったと思います。その中でMUTE BEATは、パンク/ニュー・ウェーブからレゲエの魅力にはまっていった自分が聴いてグッとくる初めての日本のバンドでした。

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MUTE BEAT(当時、ルードフラワー)が伝説のクラブ、ピテカントロプス・エレクトスを拠点に活動をはじめた頃、私は群馬の片田舎の中学生で、高崎線に乗り電車を乗り継いで、原宿までライヴを観に行ってたものです。当時の録音物を聴く限り、まだレゲエになりきってないというか、よりニュー・ウェーブ色の影響が強いし、ライヴ・ダブも、おとなしめだったように今思うと感じます。この頃はダブと言っても楽器にテープ・エコーを演奏しながら直接かけるというやり方を取っていた様です。その後、当時ピテカンのアシスタント・ミキサーだった宮崎“DUB MASTER Ⅹ”泉がメンバーとして正式加入することにより、ライヴ・ダブ・バンドとしての独自色を完成させていくことになって行きました。

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85年にはTRAレーベルのスペシャルとしてカセット・アルバムを発表。このカセットも毎日のように聴いていました。しまいには伸びてカセットデッキに絡まり、涙した思い出があります。

この頃、私は東京で生活しており、ミュートのライヴを観に、六本木インクスティックや当時のいろんなクラブにも出かけていくようになりました。ライヴでのMUTE BEATは、力強くタフでした。小玉和文(現:こだま和文)が、いつも「ボクサーがリングにあがるつもりでステージに立っていた」と回想するように、毎回完全燃焼のようなライブでした。またインストの曲だけでなく、屋敷豪太がヴォーカルをとる曲も数曲演奏され、ラヴァーズ・ロックやスカ、DJスタイルの曲などバラエティに富んでいたのもこの頃の特色の一つだと思います。ただし屋敷豪太がMELONと掛け持ちしていた都合なのか、カセット・リリース後もライヴの回数はそう多くはなかったと思います(代わりにマイティ・ダイアモンズの来日公演に小玉和文&増井朗人のミュート・ホーンズが参加し、第1回目のジャパン・スプラッシュで小玉さんがワッキーズ・リズム・フォースの一員としてマックス・ロメオのバックを務めるという嬉しい活動はありました)。
 
翌86年にはOVERHEATより12インチ・シングル「コフィア」を発表。この曲はコンビニ、確か「ファミマ」のCM曲としてテレビからも流れ、MUTE BEATの存在はよりオーバーグランドなものになっていきました。オリジナル・メンバーであり小玉和文と並びバンドの中心メンバーだった屋敷豪太が渡英のため脱退するというアクシデントはあったものの、87年には、まず5月に12インチ・シングル3枚をまとめた最初のアルバム『STILL ECHO』を、そして6月にはオリジナル・アルバムとなる『FLOWER』を2ヶ月連続でリリース。翌88年にはバンドを代表するアルバムとなる『LOVER’S ROCK』をリリースと順調に活動を続けていくことになります。

余談ですが『STILL ECHO』は88年にNYのレゲエ・レーベル、ワッキーズからも発売され、ヨーロッパの海賊放送局でパワー・プレイされているというニュースが我がことのように嬉しかったりもしていました。またライヴも活発に行い、87年には満員札止めとなったグラディ・アンダースンとの、そして渋谷クラブクアトロのオープニング公演としてスカタライツのサックス・プレイヤーだったローランド・アルフォンソとの3デイズ、88年にはルーツ・ラディックスと、ジャマイカのレジェンド的アーティスト達との共演ライヴを成功させている。特にローランドとのライヴは私がこれまで見てきたあらゆるライヴの中でもダントツの心のNo1となるライヴでした。このときのライヴは98年にローランドの追悼盤『-Tribute To Roland Alphonso-R.ALPHONSO meets MUTE BEAT』としてリリースされているので、ぜひ聴いてみて下さい。

自然に涙が出てきたライヴなんて、あの時が最初でした。
 
89年に入りキーボードが朝本浩文からエマーソン北村に代わり、デビュー時から不在だったギタリストが正式に加入と、大きな変革の時を迎えていました。リー・ペリーとキング・タビーもダブ・ミックスをしたダブ・アルバム『MUTE BEAT DUB WISE』、新メンバーでのスタジオ・アルバム『MARCH』、そしてライヴ・アルバム『MUTE BEAT LIVE』と1年間に3枚ものアルバムをリリースし、初の北米ツアーにも出かけ、非常に活発かつバラエティに富んだ1年だった。90年を迎えるにあたりこれまでを決算し次のステップへ向かおうとしているのだと思っていました。しかし89年の暮れ突然バンドのリーダー小玉和文が脱退を表明する。それでもMUTE BEATは残ったメンバーで新しく生まれ変わる決意をし、新しいバンド・ロゴも雑誌『Riddim』で発表されていた。私自身期待と不安半々の気持ちで待っていたが、新生MUTE BEATは結局姿を現すことなく消えていってしまいました。

MUTE BEATという大事なバンドが消えてしまった90年以降、たまにクラブに遊びに行くことはあっても、熱心に日本のバンドのライヴに通うことは無くなっていました。けれども、私は気付いていませんでした。MUTE BEATは消えてしまったけれど、彼らが蒔いた種が確実に芽を出していたのでした。この芽は後にDRY&HEAVYやリトルテンポといったバンドとなり新たなレゲエ・シーンを作り出すのでした。

 
こだま和文(トランペット)
孤高のトランペット奏者にして日本レゲエ界のリヴィング・レジェンド。1982年、MUTE BEATを結成。作曲、演奏のみならず、バンドのアートワークも手掛ける。1989年のMUTE BEAT脱退後、しばしの沈黙期間を経て1992年にアルバム『クワイエット・レゲエ』を発表しソロ活動を開始する。盟友・屋敷豪太とのユニットKODAMA&GOTAを経て、99年以降は自身の活動をDUB STATIONと名付け、ターンテーブルをバックにしたサウンドシステム・スタイルでの演奏を行なっている。
 
増井朗人(トロンボーン)
MUTE BEAT活動休止後は、レピッシュをはじめ、さまざまなバンドやアーティストのライヴ/レコーディングをサポート。一時期はスカ・バンド、KEMURIのメンバーとしても活動していた(2000年脱退)。アグレッシヴなライヴ・パフォーマンスに定評がある。現在も精力的にセッション活動を展開中。
 
朝本浩文(キーボード)
1986年よりMUTE BEATにキーボード奏者として参加。同時にセッション・ミュージシャンとしてTHE MODSやTHE ROOSTERS等にも関わる。91年のMUTE BEAT脱退後はユニットRAM JAM WORLDを結成し、クラブ・シーンを中心に活動を展開。またUAをはじめ、さまざまなアーティストの作品を手掛けるなどプロデューサーとしても活躍する。
 
松永孝義(ベース)
MUTE BEAT活動休止後は、ヤン富田、小泉今日子、中島美嘉、UA、畠山美由紀など、さまざまなアーティストの作品やライヴに参加。独自の存在感を放つ演奏で、セッション・ベーシストとして不動の地位を築く。2004年には46歳にして初のソロ・アルバム『THE MAIN MAN』を発表し、各方面から絶賛の声を集める。
 
宮崎“DUB MASTER Ⅹ”泉(ダブ・ミックス)
日本を代表するダブ・エンジニア。MUTE BEAT活動休止後、有限会社DMX INTERNATIONALを設立し、エンジニア、クラブDJとして精力的に活動を展開。99年にエイベックスと日本で初めてリミキサーとして契約。浜崎あゆみ、安室奈美恵、ブルーハーツ、UA、藤原ヒロシなど、ジャンルの枠を超えた幅広いアーティストのリミックスを手掛けている。
 
屋敷豪太(ドラムス)
MUTE BEATでの活動を経て、1986年、MELONに正式加入。1987年に中西俊夫、藤原ヒロシらとダンスミュージック・レーベル〈メジャー・フォース〉を設立。88年の渡英後、91年にはシンプリー・レッドに正式加入。アルバム『Stars』のレコーディングと2年間にも及ぶワールドツアーに参加。現在は活動の拠点を日本に移し、新人アーティストのプロデュースから堂本ブラザーズ・バンドのドラマーまで多岐に及ぶ活動を繰り広げている。

 
そして今年「Riddim 25th Annivarsary」一夜限りの再結成を行いました。
MUTE BEAT ONE NIGHT LIVE 2008.4.2 WED @LIQUIDROOM
http://www.overheat.com/mutebeat/

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再び、ミュートを生で聞けるとは思いませんでした。涙が止まりませんでした。
あれから9ヶ月近く過ぎますが、昨日の事の様に思い出します。
ミュートビートについて思い出や、書きたい事は山ほどあります・・・が、
なかなか、うまく言葉に出来ません。

自分は、イイ歳のとり方をしたのでしょうか・・・。
年を重ねた自分の姿を振り返り、今のミュートの姿にダブらせました。
十代、二十代、三十代、そして今。思い出と共に、いつもミュートの曲がありました。

勿論、ミュートの曲は当店でも、自分の車でも、自宅でも流れています。
このブログをはじめて、いつかは「MUTE BEAT」を紹介しようと思っていました。
是非、聞いてみてください。ご来店頂いたおりには、ミニより熱く語ります。
http://www.rising-mini.jp/
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