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Thu 2011-01-20

エコー&ザ・バニーメン Echo & the Bunnymen

同時期に活躍していた、U2やキュアーが米ツアーを足がかりに、
90年代アメリカでの成功し、メジャーなビッグバンドになりましたが、
エコー&ザ・バニーメンは、ビッグ・バンドの称号を目前にしながら、
メジャーな成功を収めることが出来ませんでした。

しかし、エコー&ザ・バニーメンのサウンドは、
ニルヴァーナ、オアシス、ホール、ザ・フレーミング・リップス、
スマッシング・パンプキンズ、コールドプレイ、ザ・コーラル等々・・
多くのフォロワーを生み出します。

エコー&ザ・バニーメンの音楽は、
80年代UKロック特有のエッジの効いた硬いギター・サウンドに、
ジム・モリソンばりの歌で、ネオ・サイケの旗手としてイギリスはじめ、
ヨーロッパを席巻し、日本のコアなファンを魅きつけました。

UKロック・シーンが誇るビッグマウス・ナルシスト・アーティスト(笑)、
イアン・マッカロクを中心に78年リヴァプールで結成されました。

彼らは当時、エコー社という楽器メーカーのドラム・マシーンを使用しており、
バンド名の「エコー」は、ドラムマシンに由来する話しは有名です。

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1977年、イアン・マッカロクは、後に英国のカルトヒーロー達、
ピート・ワイリー、ジュリアン・コープと共に「Crucial Three」なる、
バンドを結成します。この伝説のバンドは残念ながら、
数回の練習を行っただけで消滅してしまうんですけど・・。

78年、ワイリーとコープはそれぞれ、
「The Teardrop Explodes」と「Wah!」を結成します。
・・が、そのころマッカロクは、友人のギタリストのウィル・サージェントと共に、
新しいバンドを結成しようと奮闘していました。

マッカロク率いるバニーメンは、ウィル・サージェント、
レス・パティンソンの三人で、リバプールで活動始めます。
ドラマーは見つからず、結局エコー社製のドラム・マシンを使う事となります。

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79年、バンドは地方のレコード・レーベル、Zooから、
ファースト・シングル「ピクチャー・オン・マイ・ウォール」を発表。
マシンを使ったこのシングルとライブ・パフォ―マンスが人気となり、
バンドはKorovaとの契約にこぎつけます。

この契約の後、ピート・デ・フリータス(dr)が加入し、
バニーメンはやっとドラマーを得ます。

80年、アルバム「クロコダイルズ」でメジャー・デビュー。
このアルバムは、Joy Divisionの「Closer」と並ぶ、
ポスト・パンクの傑作で英ナショナル・チャートの17位にランクインします。

続いて、洗練されたサウンドと独特の雰囲気をもった、
「ヘブン・アップ・ヒアー」がリリースされると、
このアルバムはチャートのトップ10に。

そして、UKロックを象徴する様な傑作3rdアルバム「ポーキュパイン」発表、
ソング・ライティングに磨きがかかり、ポップな仕上がりとなったこのアルバムは、
バンドの最初のビッグ・ヒットとなり、シングルの「The Cutter」も、
シングル・チャートのトップ10入りを果たします。

さらに翌年には、ストリングスを多様してさらなる熟成を見せた、
名盤「オーシャン・レイン」を発表。英チャートで第4位まで上昇。
アメリカのチャートでもトップ100入りを果たします。

この日本でも、バニーメンの人気は凄まじいもので、
マッカロクのルックス、ビッグマウスな言動で、
高い人気と評価を獲得しました。

この時点でバニーメンは、後に世界的なバンドとなるU2を凌ぐ、
ロック・シーンの中心的存在だったのは間違いありません。

しかし、この時期を境に、人気に翳りが見え、
成長はピタリと止まってしまうんです。

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1985年暮れに、ドラマーのピートが突如バンドを脱退し、
セックス・コッズに加入という事件が起き、解散説が流れる中、
翌1986年に入ってから開始されたニュー・アルバムのレコーディングは、
当初元ヘアカット100のブレア・カニンガムが参加してのスタート。

結果、バンドは事実上崩壊状態に。

しかし、ほどなくしてピートがバンドに復帰、バンドは再出発を図ります。
1987年、前作から3年ぶりとなるアルバム「エコー&ザ・バニーメン」発表。

また同時期に映画ロスト・ボーイズのサントラに使用された
ドアーズのカヴァー“まぼろしの世界”も話題を呼びました。

1988年4月に三度目となる来日公演を果たした、エコー&ザ・バニーメンでしたが、
7月にNMEがバンドの解散を報道。

イアン・マッカロクがアルバム「エコー&ザ・バニーメン」を最後にグループを脱退し、
イアンはソロに、残った三人は新たなメンバーを加えてバンドを続けます。

脱退したイアンはソロ1st「キャンドル・ランド」を1989年9月に発表。
ソロとして1990年始めには来日も果たし、
その後1992年に2nd「ミステリオ」を発表しました。

一方、残された、三人はデモ・テープの制作を開始したが、
その開始直後の1989年6月14日にピートがロンドンからリヴァプールにバイクで向かう途中で
自動車と衝突して死亡。バンドは悲劇に見舞われました。

解散が濃厚と見られたバンドは、
しかし元セント・ヴァイタス・ダンスのノエル・バーク(vo)、
デイモン・リース(ds)を迎えて制作した「リヴァーバエイション」を1990年11月に発表。

・・・結局これを最後に解散してしまいます。


しかし、それから5年後、イアンとウィルの再会により、
エレクトラフィクションというバンドを結成しアルバム「バーンド」をリリース。

さらにエコー&ザ・バニーメンとして、97年にアルバム「エヴァーグリーン」をリリースし
また同時期にベスト盤バリフーをリリース。

1997年にエレクトラフィクションに、パティンソンが合流し、
エコー&ザ・バニーメンとして復活します。

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1999年に「ホワット・アー・ユー・ゴーイング・トゥ・ドゥ・ウィズ・ユア・ライフ?」
2001年には「フラワーズ」を発表。

結成から約30年が経過し、大分オッサンになりましたが、
いまでも現役で活躍しファンを喜ばせます。

素人同然のメンバー達が、自らの感覚を全開にして、
叩きつけるスピード感、そんなピュアでイノセントな魅力が、
あの時代のバンド特有の魅力であり、カッコ良さでもあり、
エコー&ザ・バニーメンは、そうしたバンド達の中でも、
一際、エッジの効いていた存在で、特別カッコよかったんです。

是非、聴いてみて下さい。

イギリスのユースカルチャームーブメントをご紹介する上で外せません。
私がリアルタイムで感じた、当時の英国の音楽シーンを感じて頂ければと思います。
http://www.rising-mini.jp/
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