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Thu 2009-04-09

The Stone Roses

ザ・ストーン・ローゼズ The Stone Roses
1984年、マンチェスターにて結成。1996年に解散。

ブリットポップひいては後の音楽シーンに大きな影響を与えたバンドです。
私が二十歳頃、擦り切れるほど聞き倒しました。

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イアン・ブラウン Ian George Brown /ヴォーカル 1963年2月20日生まれ
激しくなく、時に囁くようなイアンのヴォーカルは非常に特徴的、
彼の超然とした佇まいと共に他のバンドと、ローゼズを明らかに違ったものにしました。
"Ian" の発音は「イーェン」なんですけど、日本人なので「イアン」で。

ジョン・スクワイア Jonathan Thomas Squire /ギター 1962年11月24日生まれ
イアンとは幼少の頃からの幼馴染。
メンバーから「重症」と評されるほどのシャイな性格の持ち主で、
これが外向的なイアンとの好対照を生む。しかし、気心の知れた人とはよく話すそうで・・・。

マニ Gary Michael Mounfield /ベース1962年11月16日生まれ
オーディションにて最後にローゼズに加入。
確かな腕と人懐っこい性格でメンバー間の潤滑油となります。

レニ Alan John Wren /ドラム 1964年4月10日生まれ
数少ないドラムセットから繰り出すテクニックは独自のグルーヴとシャッフル感を兼ね揃え、
当代のロックシーンの中でも最高のドラマーだと称されました。その卓越した技術は、
ザ・フーの元ドラマー故キース・ムーンの後釜としてオファーを受けたほど。

幼馴染のイアン・ブラウン(ヴォーカル担当)とジョン・スクワイア(ギター担当)によって結成されます。その後、レニをドラマーに迎え、ベース担当のピート・ガーナーとリズムギター担当のアンディ・カズンズを加え、オリジナルラインナップが形成されます。

バンド名はローリングストーンズのストーンとポール・ウェラーに傾倒していたイアンがザ・ジャムの「イングリッシュローズ」という曲のローズを取ってつけたとされるんですが諸説色々。

ロッキンオン誌のインタヴューで、硬いもの=石、と柔らかいもの=薔薇の組み合わせであるとも語っています。彼らは当初、セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・ジャムから影響を受けていたことからも分かるように、展開が速く攻撃的な、パンク色の強い曲を中心とし活動していました。

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1985年、9月にThin Line Recordsから両A面シングル『So Young/Tell Me』でデビュー。
先に述べた「パンク色の強い曲」とはこの時期のもので、その後彼らはそれらの楽曲を自分達のものと認めていないそうで・・・。

1987年5月、FM Revolverからセカンド・シングル『Sally Cinnamon』をリリース。セックス・ピストルズ調のノイズを轟々と響かせた曲とは違い、バーズ調のメロディ重視の楽曲へと大きな進化を遂げます。

オアシスのノエル・ギャラガーが「初めてこの曲のイントロを聴いたとき、俺の運命を感じた」と述べている通り、この曲から多大な影響を受け、1996年4月28日にマンチェスターのMaine Roadで行われたオアシスのライヴで、「Acquiesce」演奏後にノエルは「Sally Cinnamon」のイントロを弾いたそうです。

1988年10月、『Elephant Stone』をリリース。ニュー・オーダーのピーター・フックがミックスを担当し、 この頃までにピート・ガーナーとアンディ・カズンズが脱退(アンディは後に「The High」を結成。アルバム『Somewhere Soon』を発表)、その穴を埋めるべくして、ベーシストのマニ(本名ゲアリー・マンフィールド)が加入。いわゆる「黄金期」のラインナップとなります。

1989年2月、シングル『Made of Stone』が発売され、NMEのシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれます。4月、ジョン・レッキーをプロデューサーに迎えた1stアルバム『The Stone Roses』を発売。UKチャート初登場47位を獲得します。この頃から大々的なプレスの取り上げや口コミによってイギリス全土へ名を馳せていきます。

10月には初来日し、4会場でライヴを行うんですが、日本の音楽雑誌(特にロッキンオン)やプレスの煽りもありチケット争奪戦でした。何で?こんなに日本で人気あるの・・・?ガンズ&ローゼスと間違えてんじゃないのって位でした。私といえば、追加公演も含め、チケットが取れず涙を呑み、後の行動につながります。

11月、シングル『Fools Gold』をリリース。
バンドにとっては初のチャートトップ10入り (最高位8位) をする。 バンドにとって最も冒険的といえるこの曲は当初「What The World Is Waiting For」のカップリング曲だったんですが、今では彼らを代表する一曲と位置づけられています。この曲のドラム・パートはギタリストのジョン・スクワイアによってジェイムズ・ブラウンの名曲;「Funky Drummer」のドラム・ループ用にリミックスされたもの(「In the Jungle Groove」収録)を使用しているんです。

彼は「'90年代はオーディエンスが主役となる時代」と主張。
確かにその通りでした・・。


この年のイギリスの殆どの音楽雑誌は、彼らをベスト・ニューカマーに挙げました。
彼らはいつでもいかなる場合も、他バンド/アーティストの前座はしない主義を突き通し、デヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズの前座すらも断ったといわれます。

1990年1月、シングル『Sally Cinnamon』の再リリースの際にバンドに無許可でビデオクリップを製作したことに抗議し、FM Revolver社に乱入、ペンキをぶちまける。この結果、裁判で有罪判決を受けます。

1990年5月27日にリバプールの郊外のスパイク・アイランドにてライヴを行い、
約2万7千人の観客を動員したこのライヴは、現在では伝説のライヴとされています。

当時、私二十代前半、
イギリスのマッドチェスター Madchesterを肌に感じたく渡英したんです。

クラブ・ハシエンダにも行きたかったし・・・。
クラブ・ハシエンダについてはまたの機会に。

マンチェスターの安ホテルに宿泊し、そこから貸切バスで現地に向かいました。島とは名のつくものの、そこはリバプール湾に突き出た場所で、その殺風景で何もない場所は、当時は何にも無かった「お台場」を連想させました。それもそのはず、工場跡地で70年代に公園?に復元されたという場所だったんです。音響や設備に問題があり、小雨のふる曇り空で、素晴らしいライブとはいえなかったんですが、2万7千人ものローゼズ・ファンが一同に会したイベントだったんです。伝説に触れて小便ちびりました。本当に少しちびりました。

1990年6月に『One Love』をリリース、最高位4位。

1991年3月、裁判の末に所属レーベルをシルヴァートーンからゲフィンに移籍する。

1994年12月、セカンドアルバムとしては異例の5年以上の歳月を経て、ジョン主導で製作された2ndアルバム『Second Coming』発売。UKチャート4位、USチャート47位。復帰にあたり、インタヴューをホームレス救済雑誌ビッグ・イシューのみで行う。レッド・ツェッペリンに影響を受けたと思われるこのアルバムはファースト・アルバムの内容とは大きく変化し、賛否両論を巻き起こします。

1995年2月、ジョンの病気のため、ツアーが延期になり、3月にレニが脱退します。黄金期のメンバーであり、バンドの特徴でもあるグルーヴの核となっていただけに、この出来事をバンドの終焉という者も少なくありません。尚、彼の脱退に当たって正式な説明はなく、レニが抜けた穴としてロビー・マディックスが加入しました。

6月、ジョンがサンフランシスコにてマウンテンバイクで事故に会い骨折。日本ツアーを含む一部が延期になります。9月、チャリティアルバム“HELP”にシングル『Love Spreads』のロビー・マディックスのプロデュースによる新録音で参加します。

1996年4月、ジョンが脱退します・・・。「このままではいつまでたっても、カーテンの揺らめきに言いようのない不安を覚えるのと同じだ」と言い残し、突如脱退。ローゼズの創造面における要であった彼の脱退は、大事件でした。理由はイアンに対する不満や、当時ローゼズの音造りにおいてきわめて特徴的な役割を果たしていた天才肌の先代ドラマー・レニが抜け、プロデューサーでもある新任ドラマー・ロビーがサウンドプロダクションに大きく関わり、ローゼズそのものが更なる変貌を遂げつつあったことへ対する不安があったたため、などと言われてます。

ジョンは抜けたものの、バンドは活動続行を決意、ジョンの代わりにエイジアやシンプリー・レッドのセッション・ギタリストであったアジズ・イブラヒムを加える(イアンとアジズとの付き合いはバンド解散後も続き、イアンがソロとなった後もゲストとして頻繁に参加している)。

8月、イギリスで開催されたレディング・フェスティヴァルのトリを務めるものの、女性バックコーラス兼ダンサー陣営を加えたそのステージの過激な変化がプレスやファンに酷評される。これを受け、10月に解散を発表、バンドの歴史に終止符を打ちました。

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是非、聞いてみてください。死ぬ程痺れます。
I Wanna Be Adored 憧れられたい・・・、痛いほど共感できました。

イギリスのユースカルチャームーブメントをご紹介する上で、外せません。
英国車を取り扱いする当店としては、皆さまにチョッと掘り下げて、
私がリアルタイムで感じた、当時の英国の空気を感じて頂ければと思います。
http://www.rising-mini.jp/
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